「学ぶ態度」評定対象外に?文科省が中教審に案を提示

毎日新聞(7月5日)で、「学ぶ態度評定対象外に」「文科省案 教員負担軽減へ」との見出しが踊る。何のことかと記事を読むと衝撃的なことが書かれてあった。

文部科学省は4日、中央教育審議会の特別部会で、従来の成績評価の方法を見直し、評定をつける際に「主体的に学習に取り組む態度」を考慮しないとする案を示した。この評価は2020年度以降に導入されたが、適切な評価が困難で教員の負担にもつながっているとの指摘があり、方針を転換することとなった。

何と稚拙な対応かというのが第一印象。私はこの評価方法は「廃止の一択」と考えている。

そもそも、学習評価を「3観点(知識技能、思考力判断力表現力、主体的に学習する態度)」という評価の方法に問題があった。私は以下の点を指摘したい。

  • 【教科の差異を無視】国語、社会、数学、理科、英語、技術家庭、保健体育、音楽、美術、書道、情報など、初等中等教育においてはさまざまな教科が存在するが、教科の差異を無視して、3つの観点とし、同等の比率で成績を出すことを求めたこと。
  • 【時間数の差異を無視】週あたりの授業時間数が1コマや2コマという小さな教科にも「3観点」を求めたことにより、それぞれの教科が思考力判断力表現力、主体的に学習する態度を評価するための材料を用意しなくてはならなくなり、児童生徒にとっては、同じようなことを幾度も問われ、負担増となっていること
  • 【評価の固定化】それぞれの観点で、ABCの3つのグレードになり、それを五段階にまとめ上げるシステムは、成績評価が固定化につながること
  • 【基準の不透明さ】主体的に学習する態度については、最初に文科省が示していた内容が漠然としており、評価基準として機能していなかったこと

補足説明をしておこう。

【教科の差異を無視】 

国際バカロレア(IB)教育を比較対象として紹介しよう。IBでは、教科ごとに細かな評価基準が設けられている。例えば、語学(Japanese, English)なら口頭諮問があったりするし、数学や理科ならIA(internal assessment)と言って、生徒の自由研究がある。試験もPaper1,Paper2,Paper3と評価項目ごとに試験日も異なる。数学なら関数電卓を持ち込みできる試験と持ち込みができない試験があったりする。それぞれの成績評価に占める割合も細かく設定されている。このように、教科ごとに評価したい項目はすこしずつ違って当たり前であるのに、日本の「3観点」では教科の差異を無視するため、それぞれの教科特性による評価を3つの観点に置き直し、計算しなおさなければならない。このため、本来、教科特性によるあるべき評価の割合が成績として歪められることになる。

また、「知識技能」、「思考力判断力表現力」という2つの力は密接に絡み合い、不可分である。知識技能がなく、思考力があるということなどあり得ない。「言葉」が「思考」を助けるというのは周知の事実である。数学の「2次方程式」の授業を受けた生徒が、「解の公式」の知識は身に付かないのに、思考力・判断力・表現力を評価するということなどあり得るのだろうか?

どのような教育理論を基にこのような陳腐な評価方法が生み出されたのか。

【時間数の差異を無視】

日本の高校カリキュラムで最も深刻な問題は、科目数が多く単位数(週あたりの授業時間数)が少ないことだ。生徒は広く浅く学ぶ。標準的なカリキュラムでは、総合的学習を除き、高校1年生で14科目を履修する。それぞれの科目で3つの観点で評価されると、これだけで\(14\times 3=42\)項目の評価項目があることになる。評価項目があるということは、それに対応するタスクが存在することになるので、生徒にとっては大きな負担となる。IBで履修する科目は6科目しかない。理科なら物理か化学か生物のどれかひとつだけだ。だから、深く学ぶし、それぞれの生徒が興味関心に応じた個人研究する余地が生まれる。14も科目があると、そのようなことはできないし、週に1回や2回の授業では絶対に不可能だ。「3観点」は、カリキュラム実態に合わない評価方法ということになる。

【評価の固定化】

観点毎にABCの3つのグレードになるということは、一つ上の成績評価(CからB、BからA)に上がるためのハードルが上がるということだ。ちょっと頑張ったぐらいでは成績評価が変わることがないということになると、だれも頑張らなくなる。真ん中のBだったらいいやと、生徒も教員もなってしまう。特に年度の後半になると、1学期・2学期の成績から、3学期にどれだけ頑張らないといけないのかという計算をするが、ほとんど成績を上げることが不可能な状態になっているのがほとんどだ。生徒目線から、成績評価を3つに分割したことによる最も大きな弊害がこれだ。IBは成績基準が科目毎に細かく設定されているが、最終の成績は7段階になっている。刻みが細かくなっていることで、ハードルが低くなり、一つ上になったり、下になったりすることがよくある。生徒や教員の頑張りや工夫が評価される構造に変えるべきだ。

【基準の不透明さ】

「主体的に学習する態度」などというものを各教科ごとに評価しなければならないものなのかをもう一度考え直すべきだ。頑張る生徒はどの教科も頑張る。なぜなら、彼らは教科間の知識のつながりを感じているからだ。教科ごとの知識をバラバラに引き出しに入れるのではなく、つながりの中で理解を深めていく。理科と数学が密接に関わり、社会と保健、国語と英語がつながっていることは自明だ。各教科毎にこの態度を評価するという考え方は、「教科至上主義」ではないのか。「総合的な学習」を創設した理念とは大きく異なる。この基準は一体何を計れというのか。当初より疑問の声があったのに、誰も答えずに今に至る。

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私立学校では、「3観点」をとりいれずに、従来方式で評価をしている学校もある。

2020年からの学習指導要領で「3観点」の評価方法が導入されたことの弊害は大きい。関西のある県では、2026年度より高校入試の内申点で中学1年生と2年生の成績は「主体的に学習する態度」のみを採用することになっている。文科省が、今になって、それは評定として考慮しない項目だと言えば、高校入試制度そのものの信頼性が揺らぐ。大問題だ。

「3観点」を導入した目的がどうだったのか、現場でどのような問題があるのかを、総じて見直す必要がある。自治体の教育委員会は教育の独立性の視点に立ち、現場としての意見をすべき時ではないか。

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